5月1日のついろぐ

saijotakeo(@saijotakeo)/2011年05月01日 - Twilog

新幹線なう。4月26日(火)の出来事を書いていきます。あり得ない濃度の1日です。山田エイジさんらは先に出発。僕と父、北川さん、甲田さんが第二陣として出発。陸前高田に入る前のコンビニで煙草などを大量購入して昼食を食べる。この先にあの惨状が広がっているとは信じられないねと話す。
posted at 17:23:22


一関から陸前高田に入る山道はかなり高度差があり、ぐるぐるとただ高度だけを下げてなかなか前に進まない道もある。
posted at 17:24:17


津波被害地に入る。すべてが何もない。平らな土地は完全に壊滅している。酷い惨状。被災地に入るとところどころが1本道で、対向車が行き過ぎるまでずっと待っている状態。GWが思いやられる。
posted at 17:24:33

中部日本放送さんや岩手日報さんが取材をしたいということなので待ち合わせの場所に急ぐ。14時30分ちょうど着いて合流。分団の駐屯地はどこにあるのだろうと探す。わからないので近くの人に聞くとすぐ下にあった。
posted at 17:25:06


陸前高田消防団を統括しているにはあまりに小さな小屋だったので驚いた。ここを基点にいろいろなことが動いているのだ。機能はハコの大きさとは関係がない。
posted at 17:26:08


入っていき挨拶をすると、分団長がテレビカメラは入らないでくれと。僕はクルーには外で待っててくださいといって、僕と北川さん、甲田さんの3人で入らせていただく。
posted at 17:26:34


大坂分団長に挨拶をして話を聞く。語調にはメディアへの明確な怒りがある。救出しているときの映像や人が波にさらわれている映像はないかとしつこく食い下がってきたテレビ局ががあったらしい。あまりにも無神経で失礼だったとおっしゃっていた。僕はそういう報道者に出会ったことはないが実際いるのだ
posted at 17:28:51


テレビの取材はすべて断っていること、新聞はまだ信用していること。テレビは現象の一側面をすべての事実かのように伝えるから信頼できないと繰り返しおっしゃっていた。自分の話も一つの観点からの話でしかない、多角的に取材して現象をできるだけ立体的に伝えるべきだろうと。
posted at 17:30:12


僕はあるタイミングで、伯父さんを亡くしていることを伝えた。津波主被災地の惨状はまったく伝わっていない。東京も温度差が凄い。当事者が話をしていかないと惨状が伝わらないから、僕はできるだけ伝えていこうと思っていますとお伝えしたところ、どこか納得されたような雰囲気になったように感じた。
posted at 17:32:28


大坂さんは話もスムーズで無駄がなく、何よりも自分ができることはなんでもやるという覚悟と気迫が込められている。ご家族を亡くされている人の徹底抗戦の覚悟だ。ふつうの人なら気圧される。中途半端な気持ちで会いに行きたいなどという人はやめた方がよい。
posted at 17:34:05


北川さんが許可を得てUstの中継をさせてもらう。助かったのは運だけだとおっしゃっていた。津波は後ろからくると思っているが、各所でビリヤードのように反射して横からそして前からくる。自分は横と前の津波が目の前でぶつかって渦を巻いている間に時間が稼げて助かっただけだと。
posted at 17:36:34


津波がくるときは悲鳴など聞こえない。聞こえるのは水のごーっと流れる音と、ぱきぱきと何かが壊されていく音のみだったと。ある意味で静寂だったと。
posted at 17:55:25


他にも1時間ばかりいろいろな話を聞いたが、記憶にあることは少ない。大坂さんはリミッターがすべて完全解除されていた。誰に対しても物怖じするという選択肢はすでになくなっており、総理大臣にもそのまま進言するだろう。
posted at 17:56:05


街は復興などという生やさしいことじゃない。まったく新しい土地を切り開いて遷都することも視野に入れて考える必要があると。僕は津波防災都市構想についてお話したところ、それは良さそうだという雰囲気だった(南三陸町レポート絶望と希望 http://p.tl/qvtx の後半)。
posted at 17:56:32


紙プロジェクトのことを話すと、それはよいと、教育が最も心配だといっていた。子ども達は目の前で親がさらわれたり、消せない傷を負っている。物凄いハンデを追っている。卑屈な子にはしたくない。教材などをちょっと揃えて支援が終わったと思われたら困ると。
posted at 20:55:18


学校等々の各施設にはカウンセラーが数名は在中してもらう必要がある。先生が子どもの話を聞くといっても、その先生もすべてを失っている本人。どうやって話を聞くのかと。そういう支援はどうしても必要だと。
posted at 20:55:48


年寄りはいずれ亡くなるだろうし、自分たちも良い時代も経験してきた。しかし子ども達はこれからだ。校庭も何もない。何が何でも子ども達に環境を整えてあげたい、とおっしゃっていた。子ども達への思いが何よりも強かったように感じた。優しい方なのだ。
posted at 20:57:34


陸前高田市は概ねコミュニティのつながりが強いようで、自宅避難民で孤立している人達はいないとのこと。同じ津波主被害地といっても地域によってかなり違う。安易に分かった気になってはならない。あるところで充足しているからといって「物資は足りている」とかいうのは支援を妨げることになる。
posted at 20:59:03


それから、これからは支援金と雇用創出が必要ですよね、という話になった。大坂さんは、雇用創出については賛同しながらも、具体的な案がなければ意味がないとおっしゃっていたので、雇用創出の具体的アイディアについて話した。
posted at 20:59:39


津波壊滅地域でどう考えても需要があるのは、瓦礫の撤去と住宅の建築だ。町を1からでも0からでもなく、過度なマイナスからすべて構築していく必要があるのだ。これは地元、大手ゼネコンを巻き込んだ国家的なプロジェクトになる。
posted at 21:00:02


その際に必ず役立つのがブルドーザー、ショベルカー、フォークリフトなどの重機の免許だ。それがあれば雇ってもらえる。地元や大手ゼネコンには現地の人を優先的に雇用するようにしてもらえばよい。これは国がそのように通達すればよいことだ(それは国もやるはず)。
posted at 21:01:04


避難所で長期間何もしなければかえって鬱になる。志津川高校のアウリープ兄弟も厨房で忙しく働いていた方がいいといっていた。避難所生活している間に職業訓練を受けた方がよい。手に職をつけることになるし、しかも地元の復興に直接役立つ資格だ。それは前を向く“希望”になるはずだ。
posted at 21:02:48


それを話すと、おお、それはいい!と大坂分団長。この近くに免許を取得できる自動車教習所があるというので、僕はすかさず、じゃあ実現しましょう。今からそこに行きましょう、大坂さん紹介してくださいと。ちょっと驚いていたようですが、じゃあ案内しますということに。
posted at 21:03:42


ちなみに、中部日本放送の方はふんばろう東日本の取材をしたいということで、話した感じも良い人達でしたよ、といったら、本当はメディアに出て目立つようなことにはなりたくないが、じゃあ取材も受けましょうとなって外で取材を受けていただけることに(岩手日報に載った写真はそのときのもの)。
posted at 21:04:48


教習所へ向かう途中、高校の先輩から電話が。ある企業で600万円集まったが赤十字に募金する気はなく、きちんと成果がみえる形のところに寄付したいのだけど、何か良いところを紹介して下さいということなので、今から重機免許を無料でとれるようなプロジェクトを進めるのでぜひお願いしますと。
posted at 21:06:39


5分、10分程度で到着。大坂さんが町の名士である村田満社長を紹介してくださる。しかし大坂さん消防団の若手達のご遺体が発見されたためにすぐに戻ることに。
posted at 21:18:36


村田社長さんは孫さんのように「やりましょう」という構えなのであれよあれよと話は進み、ふんばろう東日本の方で雇用創出金を提供することで、陸前高田ドライビングスクールにおいて希望する被災者に重機作業講習を無料で提供することが決定。
posted at 21:20:15


先方のキーマンと北川さんも含めて具体的な話を詰めていき、1月に1回しかない講習をフル回転で回して貰うこと、連休空けの11日から開始すること、すぐにチラシを作り、分団の方で配布することとあっという間に話しがまとまる。高田分団に到着してからこの間数時間。
posted at 21:22:05


もうチラシ配布は始まっており、多数の応募があるとのこと。
posted at 21:22:35