思い出の品、持ち主待つ

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110911t13020.htm09/11


全校児童の7割に当たる74人が死亡、行方不明になった宮城県石巻市大川小に近い同市福地の福地体育研修センターには、東日本大震災から半年となる今も、付近の捜索で見つかった学用品や写真などが保管、展示され、持ち主の訪れを待っている。
 赤や青のランドセル、鍵盤ハーモニカ、野球用の小さなヘルメット。テーブルには津波の被害を受けた大川小や周辺地区で回収された学用品類が並べられている。
 子どもの写真も多く、ボランティアが一枚一枚汚れを落とした上で掲示している。
 被災地では公共施設として業務を再開するため、こうした拾得物の保管や展示を打ち切るケースも相次いでいる。センターは今後も当面、午前9時〜午後4時に開所する。


http://www.kahoku.co.jp/news/2011/09/20110911t73013.htm09/11

宮城、岩手、福島3県で、東日本大震災による行方不明者数は約4100人に上る。発生から半年を経て、苦渋の思いで死亡届を提出する家族が増える一方、「帰り」を待ち続ける姿もある。心の底にやり場のない悲しみと喪失感が沈殿する。

 「あの日から何度も何度も捜し歩いた。お父さんのおかげでダイエットができたわね」
 宮城県石巻市雄勝町。がれきが散乱する自宅跡にたたずみ、高橋千賀子さん(60)が、疲れた表情に無理に笑みを浮かべる。
 夫伝(ゆずる)さん(64)は高台の自宅で津波にのまれた。「ここにいれば大丈夫」。伝さんはそう言っていた。千賀子さんが車を山の上に移動している間に、想像を超える津波が家を襲った。
 千賀子さんは連日、足を棒にして伝さんを捜した。遺体安置所にも繰り返し通ったが、見つからなかった。
 死亡届は出していない。葬儀も行っていない。あり得ないとは思いつつも、「どこかで生きているかもしれない」という期待を捨てきれない。千賀子さんは「1年ぐらいはこのまま待っていてあげたい」と言う。
 宮城県女川町の会社員末永博さん(49)は8月、津波で行方不明になった妻(47)の死亡届を提出した。14日に遺体で見つかった次男(11)をはじめ犠牲になった家族、親族の合同葬儀を行う。

 行方不明のままの葬儀には抵抗があるが、末永さんは「いつまでも悲しんでいられない。気持ちを整理するためにもやろうと決めた」と言う。
 先日、次男と妻の夢を見た。夢の中で自分に抱き付いてきた次男の体は温かかった。
 「いつもそばにいるから。そう励まされた気がして…」


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東日本大震災の発生から半年。宮城県石巻市北上川河口域の海上では、10日も行方不明者の懸命の捜索が続いた。
 計78人が死亡、38人が行方不明となっている長面(ながつら)、尾崎の両地区では、宮城県警河北署員と警視庁の応援部隊、地元漁協の有志が付近の捜索に当たった。両地区が面する長面浦にサルベージ船を浮かべ、重機で海中のがれきを撤去。小型ボートで不明者の手掛かりとなる漂流物を捜した。
 河北署によると、付近一帯では10日までの3日間で3人の遺体が発見された。同署は「一人でも多く、家族の元に帰せるよう、今後も捜索を続ける」と話している。