大津波の惨事

「大川小学校」〜揺らぐ“真実”〜


大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~ | ダイヤモンド・オンライン 全記事一覧

東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校。この世界でも例を見ない「惨事」について、震災から1年経った今、これまで伏せられてきた“真実”がついに解き明かされようとしている。この連載では、大川小学校の“真実”を明らかにするとともに、子どもの命を守るためにあるべき安心・安全な学校の管理体制を考える。

児童74人が東日本大震災の大津波にのまれて死亡・行方不明になるという大川小学校の「惨事」。実はこれまで当日の状況などが明らかにされてこなかったが、私たちが続けてきた情報開示請求によって、新たな事実が次々にわかり、ついに遺族が立ち上がった。


(抜粋です。全文を読むにはリンク元を)
【第1回】【新連載】「避難途中に大津波」はウソだった?石巻市教委の矛盾で明らかになる“大川小の真実”
【新連載】「避難途中に大津波」はウソだった?石巻市教委の矛盾で明らかになる“大川小の真実” | 大津波の惨事「大川小学校」~揺らぐ“真実”~ | ダイヤモンド・オンライン06/25

「1人1人、いろんな事情や立場があります。昨日も夜遅くまで話し合って、最後の最後まで考えてきました」


6月16日、石巻市立大川小学校の児童遺族有志は、同市教育委員会に質問書を手渡した後、仙台市に場所を移して記者会見を開き、当時小学6年生の次女を亡くした佐藤敏郎さんが、こう苦渋の思いを語る。


 学校管理下にあった児童74人、教師10人が、東日本大震災の大津波にのまれて死亡、行方不明になるという、世界でも例を見ない大川小学校の「惨事」。この日、会見場となった仙台弁護士会館の大会議室には、意を決した大川小学校の児童の遺族、8家族11人それぞれが、メディアの前で壇上に並んだ。


「学校管理下で、多くの子どもたち、先生方が犠牲になるという前例のない事態で、毎日、我々も迷いながら、今日まで来ました」


 地方の町の狭い地域の中では、当事者間の利害や人間関係が、複雑に絡み合う。最初に口を開いた佐藤さんもまた、子どもの遺族の1人でありながら、質問書を手渡した相手と同じ教育界の現場で教壇に立つ、隣の女川町の中学校教師だ。


「市教委にはお世話になった先生もたくさんいる中で、このような場に出るのは、大変つらいです。でも、子どもたちは寒空の下、先生たちの指示を待って、ずっと校庭にいた。黒い波にさらわれていった子どもたちのつらさや恐怖を思えば、大人が立場的につらいからを理由にしてはいけない。次の段階に進むためには、思っていることを話さなければならない。教員だからこそ言えることがあるのも確かで、その役割を果たそう。いまがそのタイミングだと思いました。


 学校は、信頼されるべきところだと信じています。今日ここに来ることで、いろんな人や、生徒たちにも迷惑をかけているのは承知しています。申し訳ないと思っている。でも、きっとわかってくれると信じ、我々はそれなりの覚悟と決意を持って、カメラの前に立ったんです」

矛盾する市教委の説明に募る疑念 ついに遺族が立ち上がった

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佐藤さんの妻のかつらさんも、石巻市の中学校教諭だったが、こういう市教委の元で働くのが「恥ずかしい」からと、最近、教職を辞めたという。会見には、次女の遺影を抱えて臨んだ。


「2回目の昨年6月4日の説明会は、勝手に打ち切られ、すごくつらい思いをしました。その頃、家を失くした方々、遺族の方々、皆、疲れきっていました。もう2度とあの人たちの話を聞きたくない。どうせ、子どもの命は戻って来ないと、真実の追求を諦めてしまった人たちもいる。でも、私は諦めきれません。10ヵ月間、お腹の中にいて、苦しみとか痛みとか分かち合ってきた子どもです。最後、どういういきさつで津波に巻き込まれたのか。1つ1つどんな細かいことでもいいから、どんな思いで死んでいったのか、その思いを知ることは、親としてはつらいことだとわかっています。でも、本当の思いを知ってあげたい」(佐藤かつらさん)


ときには絶望的とも思える複雑な地域事情を前にして、声を上げるのをためらい、あの日から時が止まったかのように、それぞれの思いや情報を共有し合ってきた。


 しかし、震災から1年3ヵ月。そんな遺族たちが、ついに声を上げたのだ。


「これまでの教育委員会の説明には、矛盾点が多くある。我々は、話し合いの場をつくって説明してほしいと、ずっとお願いしてきました。しかし、1年3ヵ月が過ぎて、説明会は4回だけ。ほとんどが準備できていないと言って、先延ばしになっている。それでも、今年3月18日の4回目の説明会では、いつまでも教育委員会対遺族のにらめっこではなく、知恵を出し合って、何らかの方向性を見出していきましょうと、話し合いを重ねていくことになったんです。その話し合いの日程を決めるために、遺族側の窓口として、鈴木典行さんと私の2人で打ち合わせをしてきました」(佐藤敏郎さん)


 市教委への対立をあおるのではなく、皆で一緒に解決していきたいという、そんな異例の呼びかけに、諦めかけていた遺族たちも、彼らの元に再び集まりつつあるという。
「小学3年の1人息子を亡くしました。息子のために頑張って、ここに来ました。真実をただ知りたいだけです」


 会見場には、震災後、他の遺族の助かった子どもを見るのがつらくなって連絡が取れず、大川小学校学区内の集落から市街地へと引っ越したという佐藤とも子さんの姿もあった。彼女は、こう涙ぐむ。


「皆から(犠牲者は)“自分の子どもだけじゃない”って言われ、悪いことをしてたのかなって葛藤しました。でも、子どものことを考えると…って思って、地区を出ました。新しい事実を知るたびに、教育委員会は何をやってたのかと、不安になってくる。絶望というか、そこに子どもを預けていたと思うだけで、ゾッとするんですよね」

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「校庭避難 引き渡し中に津波」1年3ヵ月を経て明らかになる“真実”

 遺族たちの姿勢が劇的に変わり始めたのは、ここ1〜2週間の間だ。
 きっかけの1つは、私たちが根気よく続けてきた情報開示請求によって、新たな事実が次々にわかったことである。


 私たちが今年5月18日に入手した情報開示文書によると、昨年3月16日の7時50分、当時の柏葉照幸校長が、震災5日後に初めて市教委を訪れ、大沼博指導主事による聞き取り記録の中で「校庭避難 引き渡し中に津波」をはじめ、「屋根を超えて津波」「油断」などと証言していたことがわかったのだ。


 一方で、当日、避難先として児童たちが目指していたとされる「三角地帯」(小学校から歩いて3分ほどの新北上大橋のたもとにある、小高い場所)という記述はどこにも見当たらない。つまり、これらの記録からは、「児童を保護者に引き渡しているうちに、屋根を超えて津波が来た」という事実が読み取れて、これまで市教委が、公文書の記述や遺族に対する説明会の中で「三角地帯に向かって避難している途中に津波に襲われた」などと報告してきたことが、根底から覆ることになるのである。


 資料によれば、市教委は昨年3月16日の聴き取りの結果、子どもたちは津波が襲来するまで、校庭に待機させられ続けたまま、被災した事実を把握していたことになる。


 小学5年の次女を亡くした紫桃さよみさんは、こう涙を流す。
「校庭で、黒い波に流されたんだという事実を初めて知りました。それまで15ヵ月間、“15時25分に三角地帯へ避難開始”“15時30分に避難開始”、そして4度目の説明会で“津波到達(15時37分頃)1分前に避難開始”と、何度も塗り替えられてきた事実が、本当は校庭にいて、逃がしてもらえなかった。先生方は、どんな思いでここにいたんだろうかということを、資料を見て、一晩中考えました。


 あの子の気持ちを想像しました。その一瞬を、やっと手に入れたような気がしました。あの子たちが、死ぬほど脅えきっていた、その思いに比べたら、いま私たちがこの場にいるつらさなんて、塵の一粒でしかないと思います」

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実際、市教委の境直彦教育長も、今年6月18日の市議会で、報告に多くの矛盾が指摘されていることについて問われ、「証言に様々な食い違いがあることは事実として理解している」などと認めている。


コンサルに2000万円で丸投げ!?遺族を憤慨させた「第三者検証委の設置」

 一方、遺族たちが動き出すきっかけとなったもう1つの要因は、市が今年度6月補正予算案に2000万円を計上し、第三者検証機関の設置を、外部のコンサルタント会社に委託すると決めたことだ。佐藤さんは、こう憤慨する。
「3月以来、私たちと一度も話し合いを持たれないまま、突然、2000万円の予算を付けて丸投げするような第三者検証委の話が出たんです」(佐藤敏郎さん)


 遺族たちは会見の前日も、あくまで次の市教委との話し合いの日程を決めるために集まり、6時間半にわたって話し合った。しかし、第三者検証委設置を突然持ち出され、「このままでは間違った公文書を基に既成事実化されてしまう」との声が上がり、「会見したほうがいい」という苦渋の選択につながったのだという。

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佐藤さんは、こう訴える。

「安心、安全であるはずの学校で、大好きな学校で、元気に“行ってきます”と登校して行った学校で、多くの子どもたちが亡くなってしまったという事実を正面から受け止めて、本当のことを話してほしいと考えてます」

遺族が望むのは対立ではない

 ちなみに、その後の記者会見では、一部のメディアから、「最終的に法的手段も検討されているのか?」などと質問も出され、遺族側は「それも選択肢の1つ。多くの遺族で情報を共有し合って、どんな方法がいいのかを探っていきたい」と答えた。しかし、その事実の過程が誇張され、「法的手段も」などと市教委側を煽るような見出しを付けるメディアもあった。


 しかし、遺族側のスタンスは、いままでと変わっていない。望んでいるのは、市教委側との対立を煽ることではなく、あくまでも皆で一緒に話し合って、解決をしていきたいという呼びかけなのである。


 安心・安全を守るのは、行政に託された大きな仕事である。それぞれの事情や、しがらみを乗り越え、それでも子どもたちのために学校を信じようとする遺族の思いに応え、行政がすべての事実を開示するところから始めなければ、未来は見えてこない。(池上正樹