みんなのわ、げんきのわ

【みんなのわ、げんきのわ】震災直後、励ましのニュースだけを集めたサイトが復活。「お花見で被災地の酒を消費して」と呼びかけた、あの岩手の酒造会社の専務さんにあらためてインタビューしました http://nhk.jp/S0Pr0U



http://www3.nhk.or.jp/news/minnanowa/followup1/followup1.html03/04


岩手県二戸市の酒造会社の専務、久慈浩介さんは、東日本大震災を受けて各地で花見や宴会を自粛する動きが相次いだことに対して、「自粛しないで、被災地の酒を消費してください」と呼びかけた動画をインターネットの動画サイトで公開しました。全国から多くの好意的なメッセージが寄せられるなど、大きな反響を呼びました。
(左 写真)2011年4月5日掲載「“花見で被災地の酒 消費を”」より
http://www3.nhk.or.jp/news/minnanowa/archive/k10015099191000.html

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動画で発言、その背景には・・・

岩手県内陸の二戸市にある久慈さんの蔵も、地震で煙突の一部が折れるなどしました。
しかし、沿岸部に比べると被害は大きくなかったため、修理すれば酒を造れる状況でした。
ところが、店に行くと、酒が山のように余っていました。
日々の食べる物さえ十分でない時期、酒を買う人などいません。
造っても売る見通しが全く立たない。酒造りをやめてしまおうとも考えました。


そんななか、3月末、津波で行方不明になった、同じ岩手県陸前高田市の友人の遺体が見つかったと知らせを受けました。
その日のうちに火葬すると聞き、久慈さんは火葬場に駆けつけました。
そこで友人の父親に、こう言われました。
「息子は死んでしまったけれど、君たちは生きている。岩手をよくすることに頑張ってくれ。」
「あのことばで気持ちが奮い立ち、自分は何ができるかと考えるようになりました。それが、あの動画にもつながったと思います。」

復興の手段に「応援消費」がある・・・
動画の反響は、久慈さんの周りに新たなつながりを生みました。
今まで呼ばれることのなかった大都市の物産展から声がかかりました。
東北の酒をのんで支援しようという会が各地にできました。
講演をしたり、メディアに出演したりすることも増えました。
「皆が被災地に気持ちが向いていたなかで、『それならできる』と響いたのだと思います。復興の手段の一つとして『応援消費』というものがあることに、多くの人が気付いてくれた。それを伝えられたかなと思います。」
そして、つながった人が別の人を紹介し、その人とまたつながっていく。
つながりは震災から2年たった今も「増え続けている感じ」だと言います。

岩手のために、復興のために・・・
久慈さんは今、亡くなった友人がいた陸前高田市で、北限のゆずを使った、ゆず酒づくりに取り組んでいます。
本格生産に入ろうとした矢先に震災があり、だめかと思われたとき、陸前高田の人からまたやろうと声がかかりました。


「私が震災にあったのは30代。まだ立ち上がる力があるときです。だから、今やっていることは、自分に与えられた使命だと思っています。」

「酒造という伝統文化の担い手として、岩手のために、 復興のために何ができるのか考えたい。震災の前より震災のあとの東北のほうがよくなったと、後世の人が言ってくれるように。」

久慈さんは、力強く話してくれました。

久慈さんなど東北の蔵元が起こした行動は、「ハナサケ!ニッポン」という運動となって続いています。もうすぐ花の季節。
ことしも花をたのしめるうれしさを、かみしめたいですね。


http://www3.nhk.or.jp/news/minnanowa/

「みんなのわ、げんきのわ」は、東日本大震災があった2011年3月から9月までの間、NHKのニュースサイトに開設しました。「人の輪」や「支援の輪」それに「被災地と全国、世界との輪」など、「わ」でつながった出来事や話題を、約半年間で816本掲載しました。

今回は、当時の一部の記事の再掲載と、取り上げた方々を再び取材した「再会」と題したページで構成しました。あのときの「わ」を思い出してもらえればと思います。