新潟長野県境地震


2011年3月12日 新潟長野県境地震 on Twitter: "2013年3月12日 本日で震災から2年目です。「東日本大震災」とは、2011年4月1日に持ち回り閣議で名称が決定しました。3月11日東北地方太平洋沖地震、3月12日新潟長野県境地震(長野県北部地震)、3月15日静岡県東部地震、又その後の余震等の一連の災害を含みます。"

2013年3月12日 本日で震災から2年目です。「東日本大震災」とは、2011年4月1日に持ち回り閣議で名称が決定しました。3月11日東北地方太平洋沖地震、3月12日新潟長野県境地震長野県北部地震)、3月15日静岡県東部地震、又その後の余震等の一連の災害を含みます。

http://mainichi.jp/select/news/20130312k0000e040174000c.html03/12

長野県北部地震2年:離村続く栄村 職員、再生に走る


東日本大震災翌日に起きた長野県北部地震の被災地、栄村は12日、発生から2年を迎えた。地震後に被災者の村外転出などが相次ぎ、過疎化に拍車がかかった。「このままでは村落が消滅してしまう。みんなが古里で人生最後まで暮らせるようにしたい」。村職員、樋口正幸さん(54)は仲間と共に村内で観光ツアーを企画したり、村産米のブランド化などに取り組んだりしている。


 樋口さんが暮らす山あいの集落、小滝地区(13世帯38人)は3月中も残雪が高さ約2メートルになり、道路沿いに雪の壁ができる。12日朝、「1年目は進むべき方向も見えなかったが、村の復興に向けて少しずつ希望が持てるようになった。みんなで頑張ればきっと復興できる」と明るい表情で話した。


 地震では住宅202棟が全半壊した。住宅再建を諦め、離村する人が急増し、人口は2月末現在、災害前の6%減にあたる2205人になった。小滝地区も10棟が全半壊。樋口さんの自宅も一部損壊し、家族は近くの小学校に一時避難した。樋口さんは役場で被災者支援にあたった。


 再生を目指して樋口さんは11年4月、役場の仕事とは別に、仲間と12人で「小滝集落復興プロジェクトチーム」を結成。壊れた公民館の内装を修復したり、村外の人も参加できる「古道(こどう)」を歩くツアーを企画したりした。昨年11月には小滝地区で収穫した米を、東京のイベントで直売して復興をPRした。


 地震で用水路などが壊れた被災農地約68.5ヘクタールは昨年12月までに全て復旧した。村の姿は災害前に戻りつつあるが、元々、深刻な過疎化を抱え、人口減に歯止めがかからない。

 樋口さんは「住民には、『人が減り続けてこの先どうなるのか』という不安がある。しかし、集落の資源を生かすことで生きがいを見いだすことができるはずだ」と話す。都市部からのIターンなどの移住者を受け入れ、被災前より生き生きとした村に再生するのが願いだ。【小田中大】

長野県北部地震


 11年3月12日未明、長野県北部を震源とするマグニチュード6.7の地震が発生。栄村の全村民の8割の約1800人が一時避難した。3人が避難生活によるストレスなどが原因で病死。10人が軽傷。全壊33棟、半壊169棟の住宅被害が出て、仮設住宅に最大54世帯124人が暮らした。昨年11月に復興村営住宅31戸が完成し、仮設から30世帯52人が転居した。残りの大半も住宅再建を終えた。