県立高田病院


親子医師「地域医療の土壌耕し、最後に娘が芽を出した」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130313/dst13031300080000-n1.htm(ページ1)

冬の名残を残す冷たい風が、砂利を敷き詰めた未舗装の駐車場から、絶え間なく砂塵(さじん)を舞い上がらせる。岩手県陸前高田市の高台に建つ県立高田病院。プレハブの仮設病棟の壁はうっすら砂ぼこりをまとい、手狭な病棟内では多くの患者が所狭しと診療を待つ。


 それでも、津波で病棟が全壊し、何もかもが流された2年前とは比べものにならないほど態勢は整った。「もう、病院に震災の影響による問題はない。今は震災前から地域が抱える問題を解決していく時期に来ている」。院長の石木幹人(みきひと)さん(65)は言い切る。


 東日本大震災から2年。病院は徐々に日常を取り戻しつつある。そんな中、幹人さんの長女で高田病院に勤める内科医の愛子さん(28)は、大きな決断をした。4月以降、陸前高田を離れ、仙台市の東北大病院老年科に勤務しながら同大大学院の院生として認知症などの研究を行う。高田病院では週1回、外来を担当するだけになる。


 被災地では若者離れが進み、以前から問題となっていた高齢化が加速。高齢者の生活を守る医療の役割は大きくなっている。離れがたい思いもあった。それでも決めた。「今は、ここにとどまるべきではない」


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 震災前は盛岡市の県立中央病院の研修医。高田病院の壊滅的な状況を知り、自ら希望して応援に入った。母のたつ子さん=当時(57)=は津波にのみ込まれ命を落とした。愛妻を亡くし、料理も洗濯もおぼつかない父。「1人にするわけにはいかない」。高田病院に残り、昨年4月、正式に着任した。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130313/dst13031300080000-n2.htm(ページ2)

この2年間、学んだことは数え切れない。「地域医療では医師が1人欠ければ成り立たないことがある。逆に言えば、高い志を持った医師が1人いるだけで、その地域の医療の質は変わってくる」。それを実践していたのが父だった。


 幹人さんは平成16年に高田病院に院長として赴任以降、「高齢者に優しい医療」を標榜(ひょうぼう)。高齢者介護を学び、訪問診療を充実させ、地域の医療を支えてきた。「医師として父をすごく尊敬する。あんなガッツがある人は、そういない」


 やればやるほど自らの力不足も見えてきた。「将来的に地域で高齢者のための医療を続けたい」。そのために必要なのは、新たに知識と技術を学ぶことだと思う。「父の下は仕事がしやすいけど、ここにいるだけじゃダメなんだ。父離れ子離れの時期なんです」


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 幹人さんも3月末で定年を迎え、院長を退任する。「地域医療を担う若者を育てようと、院長として土壌を耕してきたが、最後に娘が芽を出した」。4月以降は一医師として高田病院で患者と向き合う。


 「動けなくなったら、あとは娘に任せよう」。思わずほおが緩む。愛子さんもいう。「いつか、独り立ちして被災地に戻ってくることになると思う」。1人で歩み始めた娘の成長を、父はついのすみかと決めたこの地で見守っていくつもりだ。