1月17日 05時46分

あれから19年…|水崎綾女オフィシャルブログ「ミサキノアヤメ」Powered by Ameba 01/17

水崎綾女「あれから19年…」


19年前の今日、
5時46分阪神淡路大震災が起こる。


わたしは、5歳。
その時は、もちろん家にいた。
夜中だったけどなぜだか目が覚めてトイレに行って、ベッドに戻ってきたら、ゴォーゴォーゴォーーーと聞いたことの無い音と共に、ガタガタガタって揺れ出したの。


地震なんてはじめてだったから…
はじめての大きな揺れに、驚きを隠せず…隣で寝ていた妹を起こして身を守ることに必死だった。


そして大きくなったり、小さくなったりする揺れが続く中、何も持たずそのままの状態で学校に避難した。


ライフラインストップして何も出来ない不安、救援物資が、回ってこない不安、体育館に避難してたから、また揺れて屋上のプールの水が落ちてきて溺れたらどうしようっていう不安、プライベートがない中で生活しなくちゃいけないんだっていう不安…色んな不安がありました。


不安だらけの生活でした。
それから家の様子を見に行けたのは、2ヶ月くらいすぎてからだったかなぁ。。


火事もあちこちで起きていたし、学校で生活してる間に雨も降ったからか、家は水浸しで、ほとんど、何も、残ってなかった。


一応半壊だけど、あの様子じゃ、わたしの中では全壊って感じだったけど。


それから一年間、小学校、中学校、福祉センターと避難所で生活して、そのあと10歳までの5年間、仮設住宅に住むことになった。


幼少期と思春期はほぼ仮設での生活だから、正直あまりいいものではなかった。地震が起こった衝撃が強すぎて、この仕事を始める少しくらい前の記憶しか残ってないみたい。


残っているはずだけど、、
蓋をしているんだね、きっと。


辛いことや、心に負担がかかりすぎると、これ以上こころが壊れないために自己防衛として記憶を抹消したり、思い出をすり替えたりするんだって。


こうやって、何年経ってもまだ忘れられない事実がある。
普段なら気にしないことでも、気になっちゃったり、胸がざわざわして、睡眠が浅くなったり……


でも、こういう事は経験した方なら誰でも起こりうること。私が特別ってわけではないのです。


感じ方が違うから、ある人にとっては大きな地震でも、トラウマにならなくて、ある人にとっては四半世紀すぎても心を占領されるくらいのトラウマになってる人もいる。


トラウマは正直すごくある方。


ただ、わたしは家族が無事でいてくれただけで本当に本当に救われたの。


写真や幼少期の思い出は、家と共に消えてなくなったけれど、
かけがえのない家族が無事だったことに本当に感謝しています。
毎年、毎年、年が経てば経つほど絆は深まっていって…あの時だれひとりもかけなくてよかったなと改めて感じています。


あの地震で失ったものは計り知れないけど、そこで感じた命の痛みと重み。


たくさん流した涙の分だけの強さと、優しさ。



【あの日、
何が奪われ
何が残りましたか?
今、
何が残り
何が失われていますか?】


私は毎年この気持ちを思い出して、また新たに一年を迎えます。今年は春に震災をテーマにした舞台もやることになって、今は心が重たいのだけど、この重みをバネに変えて人生を歩みたいと思います。



阪神淡路大震災で亡くなった6434人の方に、ご冥福をお祈りします。


そして今年もこの歌を届けます。


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地震にも負けない
強い心を持って
亡くなった方々の分も
毎日を大切に生きてゆこう傷ついた神戸を
元の姿に戻そう
支えあう心と明日への
希望を胸に
響きわたれ僕たちの歌
生まれ変わる神戸の町に
届けたい 私達の歌
しあわせはこべるように。
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