エフエムとおかまち


風化させぬ 地域FM局の思い - 新潟日報 03/12

風化させぬ 地域FM局の思い
新潟・長野県境地震が起きた2011年3月12日、十日町市のコミュニティーFM局「エフエムとおかまち」のパーソナリティーたちは愛する家族を残して局へと急ぎ、マイクに向かった。「あの日」から5年。11日の番組でパーソナリティーは何度も地震の話題に触れた。被災の記憶を風化させず、教訓を伝え続けるという決意を新たにしながら。


 局から徒歩3分の場所に住む高野綾子さん(37)は、ゴーッという音と激しい縦揺れで目が覚めた。「局に一番近いのは私。とにかく放送しなければいけない」。1歳だった長女を家族に託し、寝間着姿で家を飛び出した。


 発生から約1時間たった午前5時ごろに緊急放送を始めた。情報が少ないもどかしさの中、「私が焦れば聴く人は怖がってしまう」と、落ち着いた口調で「安心してください」と呼び掛けることに集中した。


 高野さんが放送業界を志したきっかけは、04年の中越地震だった。当時、介護施設で働いており、体験したことのない揺れに遭遇した。「利用者さんとラジオの声を聞いて安心した」と振り返る。


 5年の節目に合わせ、6歳になった長女と地震後に生まれた長男(4)に「何か起きたら、お母さんは仕事に行かなきゃいけないんだよ」と伝えた。

佐藤広樹さん(49)は「あの日」、年老いた両親を置いて局に向かうことに葛藤を抱いていた。自宅があるのは十日町市内でも被害の大きかった松代地域の室野。自宅の外壁や農機具倉庫が壊れた。


 後ろ髪を引かれる思いで局に向かった。道路は至る所で崩れた土砂や雪でふさがれていた。両親の顔が脳裏によぎり、帰りたい気持ちが募ってきた。


 1時間半ほどかけて局にたどり着いた。高野さんやスタッフが必死に放送や情報収集に励む姿が目に飛び込んだ。「俺は何を考えていたんだ」。放送人としてのスイッチが入った。
当時、社会の関心は東日本大震災一色。県境地震では長野県栄村で最大震度6強、十日町市津南町では震度6弱を観測し、大きな被害が出たが、取材した被災者は多くを語らなかった。東日本大震災の被災者に遠慮して、つらさを我慢しているように思えた。


 11日の放送の冒頭、佐藤さんはBGMをかけず「明日は県境地震が起きた日です」と静かに語りかけた。当時取材した被災者へのインタビューも流した。


 「絶対に風化させない」「教訓を次代に」との思いが、いつも以上に張り上げた声に表れた。